「日本のロックのドン」と呼ばれる内田裕也ですが、名前と風貌は知っていても、内田裕也の音楽を実際に知る人は意外に少ないのではないでしょうか。松田優作主演映画への出演、東京都知事選挙出馬の際の政見放送での奇行、豊田商事会長刺殺事件やロス疑惑を扱った映画の企画主演、ニューイヤー・ロック・フェスティバルのオーガナイザー…活動が多岐にわたるため、余計に実態がつかみにくくなるのかも知れませんが、尾藤イサオとのツイン・ヴォーカルのパフォーマンスは、グループサウンズ登場前に存在した日本のロックであり、フラワーズやフラワー・トラベリン・バンドといったバンドは、アート・ロックに取り組んだ数少ない黎明期Jロックであり、内田裕也の活動のルーツには間違いなくロックがありました。
今回は、内田裕也の名盤や高額買取りレコードを紹介させていただこうと思います。
■内田裕也・尾藤イサオ / ロック・サーフィン・ホット・ロッド (東芝, 1964)
ボーヤからスタート、いくつかのバンドを渡り歩いて渡辺プロダクションに入り、63年にジョン・レイトン『ひとりぼっちのジョニー』を日本語カバーして歌手デビュー。そしていよいよロックで掴んだチャンスが、尾藤イサオとのツイン・ヴォーカルによるアルバムデビューでした。レイ・チャールズ「What’d I Say?」、ビートルズ「Twist and Shout」、エルヴィス・プレスリー「One Night」など、洋楽を英語のままカバー、内田裕也のみならず日本のロック受容の大きな一歩となりました。ちなみに、かん高い声で「シェケナベイベー」と叫ぶ内田裕也の物まねがありますが、あれはこのレコード収録の「ツイスト・アンド・シャウト」からの引用です。
演奏はブルーコメッツにブルージーンズ。日本のロック受容史をどこからとするかは難しいところですが、日劇ウエスタンカーニバルによってロカビリーブームの起こった50年代後半、あるいはグループサウンズの流行によってビートルズ以降のロックが一気に受容された60年代後半(GSブームの最盛期は恐らく67~68年)がひとつの目安となるのではないでしょうか。このレコードはふたつの大きな波の中間に生まれた事になり、GSブームから見ればそれを先駆けたアルバムとも言えそうです。ブルーコメッツは日劇ウエスタンカーニバルの代表的な出演グループで、演奏技術は後発となるアイドルGSバンドでは到底かなわないレベル。また、尾藤イサオがブルーコメッツの専属であった事、この4者が66年のビートルズ来日公演のオープニング・アクトを務めた事など、日本のロック受容史のさまざまな局面がこのレコードに重なっている事も注目です。
内田と尾藤のツイン・ヴォーカルのアルバムは翌65年にも『レッツ・ゴー・モンキー』のタイトルでリリースされました。『ロック・サーフィン・ホット・ロッド』『レッツ・ゴー・モンキー』とも、LPレコードはレア度が高く入手困難、現在では状態さえ良ければ2万円近い値となる事も珍しくありません。Jロックのマイルストーンという博物的な価値も、今後は出てくるかもしれませんね。
■内田裕也とフラワーズ / チャレンジ! (日本コロムビア, 1969)
1967年に内田裕也が結成したロック・バンド唯一のアルバムです。「和製ジャニス」の異名をとる麻生レミと内田裕也のツイン・ヴォーカルで、麻生もまた尾藤と同じようにブルーコメッツでヴォーカルを務めていた実力派シンガーでした。黎明期の日本ロックの中では屈指の女性ヴォーカルであった麻生レミを活かすためか、アルバムはジャニス・ジョプリンのカバーから始まり、以下ジェファーソン・エアプレイン、ジミ・ヘンドリックス、クリームといったフラワー・ロックからサイケデリック・ロックのナンバーを並べ、ビートルズなどのバンドを追ったアイドルGSグループとは一線を画して音楽性の高いロックを追った貴重なグループでした。やはり聞きどころは麻生レミのヴォーカル、彼女はフラワーズ脱退後に渡米して活動をつづけました。
日本のロックに名を残したレコードだけに何度もリイシューされていますが、リイシュー盤ですらなかなかのプレミアがつく状態です。69年のオリジナル盤となると超のつく高額。2021年5月のネットオークションでは8.6万円という値をつけたほか、海外では15万円を超す値がついたこともあります。
■フラワー・トラベリン・バンド / SATORI (Atlantic, 1971)
麻生レミの脱退にジョー山中の参加など、メンバーを大きく入れ替えたフラワーズを改名した新バンドがフラワー・トラベリン・バンドです。内田裕也はヴォーカルから撤退してプロデュース業に専念、バンドのセカンド・アルバムとなる本作を北米のディストリビューションに乗せるなど、その尽力と才覚は並々ならぬものであったと想像されます。
内容はアメリカン・サイケデリック・ロック、しかしジャケットデザインやアルバムタイトルなどに根底に日本らしさを求めている節があり(単に北米マーケットを意識した所作だったのかも知れません)、そういった仕掛けや企画力はのちの映画製作や政見放送でのパフォーマンスにもつながるものを感じます。
日本では黎明期Jロックの名盤として知られていますが、実は日本のアンダーグラウンド・ロックを高く評価する欧米でもサイケデリック・ロックの名作として人気が高いレコードです。何度もリイシューされていますが、71年Atlanticゲートフォールド盤はプレミア必至、3万円を超える値がつく事もあります。また、ジャケット違いとなる71年カナダGRTゲートフォールド盤も人気が高く、1万円を超える事があります。
■日本のロックのドンのレコードはプレミア続出、買取り価格も期待できる
実際の現役生活は決して長いものではなく、以降はニュースになるような不穏な事をしてそれを宣伝に利用してしまうような「ロック」な感覚に満ちた宣伝をするプロデューサー業の方が目立った内田裕也なので、注目の割にレコードの出回り数そのものが多くなく、これがレコードのプレミア化の一因となっているのかも知れません。今回取り上げた作品のほか、63年デビュー当時のEPレコードや、フラワー・トラベリン・バンドのファーストLPなども、やはりプレミア状態となっています。
もし、内田裕也のレコードを譲ろうと思っていらっしゃる方がいましたら、その価値が分かる専門の買い取り業者に査定を依頼してみてはいかがでしょうか。