レコードって、出来た当初は音がモノラルでした。モノラルは音がひとつしか入っていません。ベースやサックスなど、たくさんの楽器の音が入っていたとしても、それらを全部合わせた音がひとつ入っているだけです。

そんなレコードは、途中からステレオの時代になりました。音が2つになったのです。スピーカーって、2つでセットになっていますよね。あれは、それぞれ別の音が入っているのです。すごく単純に言えば、両方の音に同じ大きさの音がはいっていれば、その音は真ん中から聞こえ、左の方に大きい音で入っていればその分だけ左寄りに聴こえます。

だったら単一という意味から派生した「モノラル」に対して「デュアル」であっても良さそうなものですが、なぜステレオと呼ぶのでしょうか。実はステレオって、「2つ」ではなく「立体的」という意味を持っているのです。

今回は、立体的に音が聴こえるステレオ録音の魔術の正体、音場と音像の音響心理学に関するお話をさせていただこうと思います。

■モノラル録音とステレオ録音の「本当の」差

モノラル録音でも、ある程度は音を立体的に表現する事が出来ます。しかしステレオ録音の立体感は、単純にモノラルの2倍というものではない、段違いの立体感を得る事が出来ます。量的な問題ではないのです。

モノラルとステレオの立体感に差を生み出す要因は色々あります。単純に、左と右のスピーカーに入れる音の量に差をつければ、左右の立体感を作り出す事は出来ます(これを「パン」と言います)。しかし立体感には左右でなく、前後という奥行きも表現してしまいます。中には上下すら表現するものまであります。

ところで、左右なら分かりやすいですが、奥行きってステレオ録音でどうやって表現するのでしょうか。

■ステレオ録音を理解する第1歩!音場と音像

ステレオ録音での奥行きを理解するために、先に知っておきたい概念があります。音場と音像です。音場とは、その音楽が鳴っている場所の事、音像とはその音場で鳴っている音それぞれの像の事です。

まずは音場について。たとえば、その音楽が中ホールで演奏されているのか、あるいは人がぎっしり入った狭いライヴハウスで演奏されているのかで、音の響きは変わってきます。中ホールの方が残響は増すでしょうし、長さも長くなるでしょう。高音も低音も少し削られ、音色も少し丸みを帯びたものになるかも知れません。

次に音像です。たとえばステージにサックス・ピアノ・コントラバスが配置されたトリオで、リスナーが奏者のすぐそばに座っていた場合、サックスはセンターにいて他の楽器より前、ピアノとベースはサックスより後ろで、左右に大きく分かれて聴こえ、残響も少なく感じるでしょう。音量だけでなく、楽器の音の出どころの面積も広くなり、楽器も大きく感じるでしょう。しかし、リスナーがもっと離れたところで音楽を聴くと、3人のプレイヤーはだんだんセンターに近づいて聴こえ、それぞれの残響も増すでしょう。

音場と音像、これがステレオ録音を理解する第1歩です。

■音量差、音質差

ところで、音の位置って、人間はどうやって特定しているのでしょう。ある音場の中で、音の位置を代表とする音像を把握する手がかりになるものがいくつかあります。分かりやすいものから説明していきます。

まずは音量差です。人間はふたつの耳で音を聴きます。この耳のどちらに音が大きく入ったのかで、音の方向を特定できます。左がかなり大きければかなり左ですし、少しだけ大きければちょっと左、といった具合です。

音質差も位置手がかりとなります。両方の耳の間には顔があります。これが遮蔽物となり、左と右では音質が変わります。たとえば音源が左にあった場合、左耳には直接音が聴こえますが、右耳には直接音は入らず、何かにあたって跳ね返った音が聴こえます。音質が違うのですよね。また、左右の耳に届く音質差だけでなく、単純に音源から離れれば離れるほど高い音はロスします。低音のロスは音場次第で、音場の材質や形状なども大きく影響します。

■立体感最大の要因、位相

ステレオ効果の最大要因、それが位相です。位相を理解するには、音という現象の特徴を知っていないと、イメージするのが難しいかも知れません。

音という現象は、空気や水の中を伝わる波とイメージすると分かりやすいです。池に石を投げ込むと水紋が出来て、丸井波が伝わっていきますよね。あれの空気版いった感じです。波なので、高いところと低いところが周期的に出来ます。水面の波のように、高いところ、少し高いところ、もとの水平と同じ高さのところ、少し低いところ…などの高低差が生まれます(音の波は空気圧の波なので、実際には高低ではなく粗密)。

さて、さきほど、左右の耳には違う音が聴こえるという話をしましたが、位相にも同じことが起こります。左の耳は波の高い所を聴いているのに、同じ瞬間に右の耳は少し高い所を聴いていて、右の耳が高い所を聴くのは少し後、といった具合です。これを位相差というのですが、これが音に立体感を生み出します。この立体感は実際に聴いてみないと分かりにくいですが、立体的に感じるのは、左耳と右耳で位相が違う事が特に大きく、まさに「ステレオ感」という奴の正体の多くが位相差です。

ちなみに、左の耳が波の一番高いところを聴いている時に、右の耳が波の一番低いところを聴く場合、双方の音がうち消しあうために、人間の耳には音は聞こえなくなります(なんと、それぞれのスピーカーに音は入っているというのに!)。これを逆相と言います。

■ディレイの生み出す音像と音響

音の立体感を出すものに残響があります。音は楽器が出した音を直接に聴くだけでなく、まわりの物体に跳ね返った音(反射音)も聴こえてきます。反射音はひとつではなくたくさんあるので、それらが繋がってエコー状になって聴こえるわけです。これを残響と言います。

音場や音像を表現する残響は、跳ね返る壁の材質や広さ、楽器との距離などによって変わってきますが、特に注目したいのがアーリー・リフレクション(初期反射)です。楽器からの直接音に対して、反射音は何かにぶつかってから届くので、時間差が生まれます。その反射音の初期に聴こえるものがアーリー・リフレクションで、最初の反射音が聴こえるまでの時間をプリ・ディレイと言います。

近くの楽器と遠くの楽器という「奥行きのステレオ」には、このアーリー・リフレクションやプリ・ディレイの楽器間の時間差が影響するわけですね。

■レコードでこそ楽しむことのできる立体音響!

ハードディスク録音が生まれた90年代以降、プロのレコーディング・エンジニアでない人が録音やミックスをしたものも増え、またステレオ空間を意識しない録音やミックスも増えた為、見事なステレオ音場を聴かせてくれる録音はとても減っているように感じます。一方で、技術は蓄積されるからか、かつて以上の見事なステレオ音場を生み出した録音が生まれているのも今です。そして、音の空間的な立体感を楽しむのは、ライブ以上にレコードでしょう。ヘッドフォンではなくいいオーディオ装置を持っていれば、その悦楽は何倍にも跳ね上がります。

ステレオ録音のレコードを楽しむときには、音の立体感に着目して聴くのも面白いのではないでしょうか。