日本のロックは、いつ、どのように始まったのでしょう。ロックをどのように定義するのか、どこまでサンプルの幅を広げるのかによって答えは変わってくるでしょうが、レコードという括りで見ると、68年と69年は注目に値します。

68年は、グループ・サウンズの中から、レコードの中でロックをフォローしたグループが出始めた年でした。ザ・ゴールデン・カップス『ザ・ゴールデン・カップス・アルバム』やモップス『サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン』がその例です。

69年になると、ここにグループ・サウンズという括りから外れたバンドが加わるようになります。ザ・ヘルプフル・ソウル『ソウルの追求』、内田裕也とフラワーズ『チャレンジ!』、そして今回ご紹介させていただくギタリスト陳信輝の加わったパワー・ハウス『ブルースの新生』などがその例で、これらはすべて69年リリースです。共通するのは、クリーム、ドアーズ、ジミ・ヘンドリックスなど、当時の最先端であったニューロックがフォローされた点です。

つまり、日本のロックの夜明けは、ニューロック、言い換えれば英米ロックの器楽レベルがブレイクスルーしたタイミングと重なっています。黎明期Jロックに多くのギター・ヒーローが生まれた事は、これと無関係ではないでしょう。陳信輝は、間違いなく黎明期Jロックの名ギタリストのひとりでした。

今回は、陳信輝の名盤や高額買取りレコードを紹介させていただきます。

■パワー・ハウス / ブルースの新星 (東芝, 1969)

ビートルズとは一線を画した新しいロックが英米で生まれた時、日本はまずその音楽を知ることが簡単ではなかったそうです。日本盤のリリースは英米リリースより1年近く空く事が多く、そもそも日本盤が必ずリリースされるとも限らない状況。たとえば、ジェファーソン・エアプレインのデビュー・レコードは66年リリースですが、日本盤が出たのはようやく72年になってからでした。こうした状況で衝撃のニューロックに触れるには、陳信輝自身の証言を借りれば「PXなどで輸入レコードを入手する」か、それこそロックを聴く事のできるライブハウスあたりで日本人バンドによるカバーを聴くなど、方法は限られていました。

68-9年という時期に、「最新のロック」を実際に演奏した数少ないバンドのひとつが、陳信輝や柳ジョージの参加したパワー・ハウスでした。内容はブルース・ロックをベースにしたニューロック志向。黎明期だけに演奏はまだ発展途上と感じますが、それでもタイガース「花の首飾り」やテンプターズ「神様お願い」のような、バンド演奏の歌謡曲ではないロックがついに帯同した初期衝動を感じることが出来ます。

■フード・ブレイン / 晩餐 (ポリドール, 1970)

黎明期の日本のロックには、ブルース・ロック系の素晴らしいバンドがいくつかありました。これらのグループはメンバーが重複しており、離合集散を繰り返しながらシーンが熟成していったことが分かります。フード・ブレインもそうしたグループのひとつで、キーボードの柳田ヒロはエイプリル・フールやエディ藩グループに、ベースの加部正義(ルイズルイス加部)はザ・ゴールデン・カップスに参加していたプレーヤーです。そしてドラムのつのだひろは、フード・ブレイン参加後にフライド・エッグやストロベリー・パスといった黎明期Jロックの金字塔ともいえるグループを作り上げました。

ミュージシャンのクロスロードとなったフード・ブレインの音楽は、熱気のこもった長いジャム・セッション。これは音楽の比重が演奏表現よりであった事のあらわれのひとつでしょうが、その音楽が時にガレージ色を強め、時にアヴァンギャルドにもなった点は、ギターの陳信輝のカラーでしょう。

■陳信輝 / SHINKI CHEN (ポリドール, 1971)

あえてこの音楽に名前を付けるとすれば、ヘヴィ・ブルース・ロックといった所でしょうか。黎明期Jロックの名ギタリスト陳信輝、唯一の自己名義アルバムです。

曲も演奏もそうですが、それ以上に耳を惹くのがサウンドで、とにかく骨太です。柳ジョージの弾くエレキ・ベースはファズで激しく歪ませられながらも音が痩せる事なく、4リズムとは思えないほどのサウンドでレンジが埋め尽くされます。さらに、テープの逆回転などを駆使したアヴァンギャルドでサイケデリックなサウンド・イメージは、中国人街で育った陳信輝の感性が音にあらわれたかのよう。ブルース・クリエイションの竹田和夫や乱魔堂の洪栄龍など、黎明期のJロックには強烈なガレージ感覚を持った名ギタリストの宝庫でしたが、陳信輝も間違いなくそのひとりでした。

■スピード・グルー&シンキ / 前夜 (Atlantic, 1971)

陳信輝は参加したどのグループも短命で終わらせて次のグループを作る事を繰り返しましたが、その中でもっとも有名なグループを挙げるとすれば、加部正義(エレキ・ベース)とジョーイ・スミス(ドラム/ヴォーカル)の3人で結成したスピード・グルー&シンキでしょう。このグループもアルバム2枚を残して消えましたが、これはファースト・アルバムです。

レコード『SHINKI CHEN』に優るとも劣らない名作で、やはりヘヴィ・ブルース・ロックといった面持ちの音楽です。そのヘヴィネスは、初期のフリーやレッド・ツェッペリン以上ともいえるほどで、いまだに名盤として語られるのも納得のいくところと思います。

■レコード高価買取に関するあれこれ

今回紹介させていただいたレコードは、リイシュー盤も一定以上の値がつくものが多く、リリース時の日本オリジナル盤となるとプレミア必至のものばかりです。

「パワー・ハウス / ブルースの新星」は、2020年に復刻されました。これですらいまだに値が崩れません。リリース時の赤盤は、今年(2022年)某オークションサイトで8万円超の値をつけました。

「陳信輝 / SHINKI CHEN」、これも71年日本盤は超プレミア。むしろ海外の方が人気が高く、数十万は当たり前、落札されたかどうかは見えていませんが、フランスの某レコードサイトでは日本円で100万円以上の出品しかありません。

「スピード・グルー&シンキ / 前夜」は日本や海外で何度かリイシューされましたが、どれも基本的に高額がつきます。しかし71年盤は超プレミアで、数万円の値がつく事が普通にあります。

もし陳信輝のレコードを譲ろうとお考えでしたら、その価値が分かる専門の買い取り業者に査定を依頼してみてはいかがでしょうか。思わぬ高額買取りレコードになるかもしれません。

(*) Mikki によるインタビュー「スピード・グルー&シンキは終わらない。陳信輝と李世福が語る60~70年代横浜ロック史」から。https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/29826

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