幼少期から米軍キャンプで歌い、1958年に11歳で歌手デビュー。そこから80年代にかけ、アメリカン・ポップスからの影響がひとつの形になっていく日本のチャート音楽の潮流の中で、中心人物のひとりとなったのが伊藤ゆかりです。
フィフティーズなどのアメリカのチャート音楽をそのまま和訳して歌ったカバー・ポップスを皮切りに、日本語訳してカンツォーネを歌う事でカンツォーネ・ブームを起こし、60年代後半に入ると「小指の思い出」をヒットさせます。そして、70年代後半から発表したアルバムの数々は、流行するニューミュージックの中でアダルト路線を行くもので、大ヒットにはつながらなかったものの名作の目白押し状態となりました。このようにして、伊東ゆかりの軌跡は、洋ポップスの日本音楽化の歴史と同じ軌道を描くものでした。
今回は、伊東ゆかりの名盤や高額買取りレコードを紹介させていただきます。
■ゆかりのヒット・パレード (キングレコード, 1962)
終戦が1945年。そこからGHQ監視下となった1950年までの日本の流行歌は、恐らくGHQ主導の下でアメリカ音楽影響下の歌が強く押し出されました。40年代というとまだチャック・ベリーもプレスリーもデビューする前。アメリカン・ポップス自体が形を成しておらず、その時代の強いアメリカ音楽と言えばジャズでした。「港が見える丘」(平野愛子)、「東京ブギウギ」(笠置シズ子)、「銀座カンカン娘」(高峰秀子)といった40年代のチャート音楽の背景にあるのは、ポップスではなくジャズです。
そうした状況に変化が起きたのは、フィフティーズがアメリカの音楽シーンを席巻してからでした。アメリカン・フィフティーズの影響は徐々に日本のチャート音楽にもあらわれ始めました。それがもっとも単純な形で表面化したのが、洋ポップスを日本語訳して歌うカバー・ポップスで、ここが日本のポップスのターニング・ポイントとなりました。
このレコードは、おすすめ伊東ゆかりのカバー・ポップス集です。カバー・ポップスと言えば、中尾ミエ「可愛いベビー」や弘田三枝子「ヴァケーション」などが有名ですが、伊東ゆかりの「ロコモーション」「ヴァケイション」「かわいいベイビー」も有名。このレコードには上記3曲がすべて入っています。これが人気を集めた事からシリーズ化され、最終的には第4集まで出されました。
■サン・レモのゆかり (キングレコード, 1965)
カバー・ポップス集『ゆかりのヒット・パレード』と、65年リリースのこのレコードの間に起ったのは、ビートルズのデビュー。これが日本のカバー・ポップスが成立しなくなった大きな要因となったように思えます。ビートルズの曲を聴くなら、日本人によるカバーではなくビートルズ自体をそのまま聞くようになった事。ヒット曲を色々な人がカバーして歌っていたポップスに、オリジナルという概念を強く生み出した事。たとえば、「ハード・デイズ・ナイト」は曲とビートルズの演奏がセットとなってはじめて「ハード・デイズ・ナイト」となる、といった具合です。英語詞のままでは日本人に理解できないという理由で成立していただろうカバー・ポップが、ビートルズ以降は仮に詞が分からなくても洋楽のまま聴かれるようになったわけです。
日本の黎明期ポップスのシンガーとしてデビューした伊東ゆかりは、ここでアメリカのカバー・ポップスから方針を変え、イタリアの流行歌カンツォーネに活路を見出します。これが岸洋子の活躍と重なり、日本にカンツォーネの小ブームが起きました。
この頃、伊東ゆかりは18歳。歌唱力は格段に向上、またヴェルディやプッチーニといったイタリア・オペラから連なるイタリア歌曲のレベルはアメリカン・ポップスとは格段の差を見せるレベルの高いものでした。
■小指の思い出 (キングレコード, 1967)
カバーから始まったアメリカン・ポップスも、60年代後半には日本産のものを生むようになります。80年代にまで来るとほとんど洋楽と同じになってしまった事から考えると、日本音楽とのフュージョンを見せた60年代後半から70年代までが、「日本の」ポップスの全盛だったのかも知れません。
カバーから離れた伊東ゆかりがヒットさせた曲が、「小指の思い出」でした。伊東ゆかり最大のヒットとなったこの曲を書いたのは、西田佐知子などに楽曲を提供していた鈴木淳。60年の西田佐知子と70年の藤圭子の間で、日本のポップスは明確な形をあらわしていました。
■ルック・オブ・ラヴ (キングレコード, 1968)
私が伊東ゆかりで一番好きなレコードは何かと訊かれたら、迷わずにこのレコードをあげます。まるでアストラッド・ジルベルトのアルバムでのドン・セベスキーのような見事な管弦編曲、ダスティ・スプリングフィールドを超える見事な管弦アレンジで聴かせるバート・バカラック「The Look Of Love」やサイモン&ガーファンクル「Scarborough Fair」など、日本で作られたカバー・アルバムの中でも屈指の完成度ではないでしょうか。
伊東ゆかりと言えば「ロコモーション」などの初期カバー・ポップ、カンツォーネ、そして「小指の思い出」という印象が強いですが、実際に凄いのはその後だと個人的には感じています。
■素描(Sketch) (1980)
日本のポップスは、70年代も後半に入ると洋楽にさらに近づきました。それは悪い意味ではオリジナリティの喪失であったかも知れませんが、良い意味では演奏やアレンジのレベル向上であったように感じます。こうした微妙なバランスの上で、ニューミュージックは作られていきましたが、70年代後半からの伊東ゆかりは絶妙のバランス感覚を持つアルバムを連続して生み出しました。その中で、個人的にもっとも素晴らしく感じたのが、このレコードです。
松山千春作詞作曲「もう一度」は、ボッサ調AORといってよい曲想、演奏レベル、そして大人の鑑賞に堪えるアダルトな詞。いずれも日本製AORの隠れた名曲と思います。それ以外にも、来生たかおや都倉俊一といった作曲家陣の書いた曲のレベルの高さ、サイドAの最後にグレッグ・レイクとピート・シンフィールドというキング・クリムゾン参加アーティストの曲を配置するなど、洋楽の上に日本的な情緒を重ねたセンスの塊のような名盤と思います。
■レコード高価買取に関するあれこれ
『ゆかりのヒット・パレード』は、2集以降が発表された今では「第1集」という言葉が添えられるようになりましたが、元々はナンバリングのされていない10インチレコードでした。帯つき美品となれば数万をつける事もあるプレミア・レコードとなっています。これは第2集以降にも言える事です。
『サン・レモのゆかり』も貴重なレコードで、なかなか市場に出ませんが、出れば帯つきでなくともそれなりの値をつけ、帯つきは高額となるのが普通です。
『ルック・オブ・ラヴ』は、申し訳ありませんが現在のレコードの相場を調べることが出来ませんでした。という事は市場にあまり出ていない事になります。2014年に復刻されたCDがすでに一定の評価を受けているので、レコードを手に入れるにはそれなりの出費を覚悟しなくてはいけないかも知れません。
『素描(Sketch)』は、2022年時点で未CD化。そこまでのプレミアをつける状態ではありませんが、昨今のシティ・ポップ再評価の流れの中で、78年のビクター移籍以降の伊東ゆかり再評価の機運も高まっているので、これから値が上がっていくレコードになるかも知れません。
もし、伊東ゆかりのレコードを譲ろうとお考えでしたら、その価値が分かる専門の買い取り業者に査定を依頼してみてはいかがでしょうか。思わぬ高額買取りレコードになるかもしれません。
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