戦後の日本歌謡の中でひとりだけ女性シンガーを選ぶとしたら、私なら美空ひばりでも宇多田ヒカルでもなく、藤圭子を選ぶでしょう。

その話の前に、少しだけ寄り道をさせてください。LPレコード全盛期に育った事もあり、好きなミュージシャンはオリジナル・アルバムで聴き込む癖があります。しかしそういう聴き方をすると、ミュージシャンに思い入れがないと、仮に好きな曲であってもあまり聴けない事になってしまいます。そこで一計を案じ、自分で昭和歌謡のオムニバスを作った事がありました。ルールは単純、戦後となった1945年をスタートに年代順に並べる事。ヒットに左右されず、自分の好きな曲だけを並べる事。そして、同一ミュージシャンが5曲以上を占める場合は、ミュージシャン単体で聴きこむべきであって、オムニバスに収録しない事。

このように並べてみると、1970年だけが特異である事に気づきました。前後を挟む69年と71年は、それぞれ10曲を超すお気に入り曲があったのに、70年は北原ミレイ「ざんげの値打ちもない」ただ1曲だったのです。70年前後といえば、音楽や映画文化としては日本の戦後最盛期と思っていただけに、信じられない事でした。アングラ文化最盛で、表の文化である産業音楽に面白いものがなかったのでしょうか。

実は1970年に藤圭子が大ブレイクしていたのです。70年の流行歌から藤圭子を除くとほとんど何も残らない…それが僕にとっての70年だったのです。

70年の藤圭子の特異性は、私個人の感慨だけでなく、実際の数字にもあらわれています。3月に発表された藤圭子のファースト・アルバム『新宿の女』は、アルバム・チャートで20週連続1位。続く7月発表のセカンド・アルバム『女のブルース』は17週連続1位。週単位で新人歌手がデビューしていた時代に、2枚のアルバムで連続37週1位は信じがたい状況で、70年の藤圭子が社会現象のレベルであった事が分かります。そして、私も70年から数年の藤圭子の歌を聴いて、魂を持っていかれた経験があったのです。

今回は、藤圭子の名盤や高額買取りレコードを紹介させていただきます。

■新宿の女 (RCA/日本ビクター, 1970)

前年69年にシングル「新宿の女」でデビューするや話題となり、翌70年3月に発表されたデビュー・アルバムです。「新宿の女」「夢は夜ひらく」などの藤圭子の代名詞ともなる曲が収録され、社会現象となるほどのヒット。60年安保の時代を象徴する曲が西田佐知子「アカシアの雨がやむとき」ならば、70年安保の時代を象徴する曲は、詞を改変して藤圭子が歌った「夢は夜ひらく」だったのではないでしょうか。

作家の五木寛之はこのレコードにとりつかれて何度も聴きこみ、歌のあまりの迫力に「これは演歌ではない、怨歌だ」といった旨の言葉を残しました。振り出すように出されるハスキーな声に巻き舌を入れ、曲のピークに至るとものすごい声量、ベテラン演歌歌手ですら敵わないドスの効いた歌唱を効かせた藤圭子は、この時まだ18歳でした。

■女のブルース (RCA/日本ビクター, 1970)

アルバム『新宿の女』と同年にリリースされ、両アルバムで連続37週連続1位という二度と更新される事がないだろう記録を作ったセカンド・アルバムです。カバーが大半を占めたファーストに比べてオリジナル曲が揃えられ、詞の世界が借り物でない藤圭子の世界を表現するものとなりました。このアルバムに収められた「女のブルース」「命預けます」「ネオン街の女」といった曲はやはり藤圭子を代表する曲ですが、これらの曲の作詞をしたのはすべて石坂まさを。藤圭子を内弟子にし、「コブシをまわしていない」「暗い」などの理由から多くのレコード会社に断られた彼女をレコード・デビューにまで導いた人です。社会現象までひき越した藤圭子の情念うず巻く怨歌は、実際には藤圭子と石坂まさをのふたりが作り上げたものでした。

■藤圭子リサイタル (RCA, 1971)

70年代初頭、藤圭子は3つの有名なライブ・レコードを残しましたが、中でも「朝日の当たる家」や「この胸のときめきを」といった洋楽のカバーなどもカバーし、懐の深さを思い知らせたのが、71年にサンケイホールで開かれたリサイタルを記録したこのレコードでした。

ドスの効いた表現力の高さに圧倒されるばかりの藤圭子の歌唱ですが、ライブでここまでノーミスで歌うのかというほどに、実は技術的にも、また音感の良さとしても才能に満ちたプロフェッショナルであった事が分かります。また、「演歌」「怨歌」と言われる彼女の歌ですが、実際には他の音楽との境界は曖昧で、洋楽でもムード歌謡でも見事に「歌」として見事に詩を生きた声として伝えるさまが圧巻です。

そして、藤圭子は他の歌手を泣かせる人でもありました。藤圭子がカバーすると、オリジナルを超えてしまうのです。デビュー・レコードでの「カスバの女」や「柳ケ瀬ブルース」もそうでしたが、このライブでは北原ミレイがヒットさせたばかりの「ざんげの値打ちもない」を歌い、元祖を凌ぐほどの表現を聴かせます。昔、なにかの歌番組で北島三郎と共演していたのを見た事がありますが、北島三郎の持ち歌を藤圭子が歌うや、北島三郎があまりの表現力に首を横に振ってステージを降りていました。

■レコード高価買取に関するあれこれ

短期的な復帰はあれ、藤圭子の実質的な活動期間は69年から79年というわずか10年です。また、74年にポリープの切除手術を受けており、以降の歌唱力もまた素晴らしいのですが、ハスキーでドスの効いた歌から変化した事もたしかです。このような理由もあって、藤圭子を聴くのであれば、まずはデビューから73年。この間にリリースされたレコードには外れなしで、プレミアどうこうではなく、すべて買って良いほどの歌のクオリティです。

中でも社会現象を引き起こしたファースト『新宿の女』とセカンド『女のブルース』は必聴。あまりに売れたため市場に数があるのが理由でしょうか、プレミアとはいきませんが、もし聴いた事がないのであればぜひ聴いておきたい伝説のアルバムです。

プレミアという事になると、未CD化のアルバムや、ライブ・レコードの方が上。たとえば、今回紹介させていただいた『藤圭子リサイタル』は、平均以上の価格はもちろん、初回帯つきとなると万単位の値段をつける事があります。同じくライブ盤では、引退公演を収めた『さよなら藤圭子』も相応の価格で取引されています。

もし、藤圭子のレコードを譲ろうとお考えでしたら、その価値が分かる専門の買い取り業者に査定を依頼してみてはいかがでしょうか。思わぬ高額買取りレコードになるかもしれませんよ。