熱気、ラフ、スピード、過激…ロックを形容するに、こういう言葉は実に似合いますが、そうだとすれば録音スタジオで丁寧に作り上げたものより、ライブの方がロックらしいのかも知れません。かくいう私も、ロックで好きなアルバムでライブ盤の占める割合は多く、グランド・ファンク・レイルロード、ザ・フー、MC5、クリームなどはベストと思っているレコードがライブであるほどです。緻密さが要求されそうなプログレッシヴ・ロックですら、キング・クリムゾンで一番優れた音源は72年アメリカ公演、ピンク・フロイドは『ウマグマ』のライブ・サイドだと感じます。
これらロックのライブ・レコードに共通しているのは、スタジオ録音ではとうてい到達できないようなスピード感や熱さ、そしてロック的なラフさを持っている点です。
こうしたロックのライブ名盤から、ディープ・パープル『ライヴ・イン・ジャパン』(洋題『Made in Japan』)を外す事などできません。ローリング・ストーン誌の2012年の読者投票でも、ライブ・アルバムの6位に入った文句なしの名盤で、ディープ・パープルのメンバーの中からも「あれがバンドのキャリア・ハイだった」という発言が出たほどの強力なパフォーマンス。
しかし実はこのライブ・レコーディング、当初はバンド自体があまり歓迎しないものでした。今回は、ディープ・パープルの名盤にしてロックのライブ録音の傑作でもある『ライヴ・イン・ジャパン』について、なぜこれほどの素晴らしいものが生まれたのか、その理由を掘り下げて探ってみようと思います。
■LPレコード【ライヴ・イン・ジャパン】制作の背景
このライブが録音されたのは72年8月。ディープ・パープルが、彼らの代表作と言われるようになった名作『マシン・ヘッド』を発表した直後です。『マシン・ヘッド』はホテルで録音され、演奏しながらメンバーが話し合ってヘッドアレンジを施す形でセッションが進んだそうです。つまりライブは、試行錯誤を繰り返しながら作りこんだアルバムが成功をみた直後の事でした。ディープ・パープルのメンバーは、ライブ録音に懐疑的だったそうですが、『マシン・ヘッド』の成功も、その思いを強くした理由になったでしょう。
これに対し、ライブ・アルバム制作へと大きく傾く出来事がいくつか重なります。この頃になると、ロックのライブ録音の技術があがった事です。音質に難のあったロックのライブ録音も、70年近くになると優秀な録音が数多く生まれます。70年にはグランド・ファンク『ライヴ・アルバム』、ジミ・ヘンドリックス『バンド・オブ・ジプシーズ』などが生まれ、71年のオールマン・ブラザーズ・バンド『フィルモア・イースト・ライヴ』などはその極めつけです。ここまで来ると、演奏技術のあるバンドでさえあれば、むしろエアーの拾えるライブ録音の方が良い音で録音出来るとすら思えます。またこれらのレコードは、音質のみならず商業的にも成功していました。
ディープ・パープル自体の事情もありました。ハードロック路線に舵を切ったこの時期の第2次ディープ・パープルは、ライブでのハードな演奏が評判を呼んだバンドでもありました。そこに目をつけて『H BOMB』という海賊盤がリリースされましたが、これが爆発的なセールスを記録。しかし海賊盤のため、本人たちには印税が入ってきません。この海賊盤を駆逐するライブ・レコードの発表は、バンドとしても良いものを作れるものなら作りたいものでもありました。
そして、日本側の事情です。72年の日本において、超絶的なスピードとテクニックを誇るハードロック期のディープ・パープルはセンセーショナルそのものでした。レコードのセールスも好調で、3回の日本公演のチケットも驚くほどの速さで完売。これで人気を確信したワーナー・ブラザーズ・ジャパンは、バンドに録音を打診します。
ライブ録音への慎重な姿勢と、ライブ録音の需要。この相反するふたつの基準が、日本でのライブ録音に対する方針を決める事になりました。録音はバンドが信頼するエンジニアが行う事、バンドが音源に満足できなければリリースしない事。この慎重さは、間違いなく名盤を生む要因のひとつになったでしょう。良くなかったらリリースしないのですから、悪いものになるはずもありませんし、バンドが録音を意識し過ぎずライブ・パフォーマンスに集中できたのも大きかったでしょう。なにせこのライブ、失敗を恐れない果敢なトライが随所に聴かれる演奏なのです。
■このアルバムが8トラック録音であったという事実
現在の常識からは信じられない事ですが、このアルバムは8トラックで録音されたそうです。日本盤『ライヴ・イン・ジャパン』のジャケット写真は8/17日本武道館公演のものですが、そこから判断するにドラムはマルチマイキング。しかし8トラックでは、現代のようにすべてのマイクを別々のトラックに録音する事は出来ません。ライブ録音にはいくつかのやり方がありますが、ディープ・パープルはこの録音のためにマーティン・バーチを呼び寄せたそうですから、恐らくスプリッターを使用してPAコンソールと録音コンソールを分け、8つにまでトラックをまとめて収録したのでしょう。ちなみに、マーティン・パーチは、ジェフ・ベック・グループやフリートウッド・マックなどの録音を担当し、ディープ・パープル以降はそこから連なるレインボーやホワイト・スネイクといったロック・バンドの録音の多くを手掛けたレコーディング・エンジニアです。
ハモンドはロータリー・スピーカーを使ったかも知れませんが、ミックスを聴く限りはモノ。ドラムはタム回しがLからRに流れ、ハイハットがR定位である事から、キックを除いてキットとしての2ミックスと推察されます。8トラックの制限からして、スネアも恐らくキットのトラックにまとめられたのでしょう。
オーディエンスの音も、明らかにフェーダーを上げ下げしていますので、単独のトラックに録音されたものと思われます。結果、8トラックの内訳は、恐らくヴォーカル/ギター/オルガン/ドラムキット(ステレオ)/ドラムキック/オーディエンス(ステレオ)。
余談ですが、このレコードはミックス面で面白い点があります。ジャケット写真やライヴ・ビデオから推察するに、オルガンのジョン・ロードが舞台下手、ギターのリッチー・ブラックモアが上手に位置していますが、ミックスでは逆になっています。ドラムのLRも同様で、つまりこのレコード、バンド視点での音像になっているのです。
8トラック録音で、あれだけ優秀な音質を実現した点に驚きます。以降、レコーダーの進化は目覚ましいものがあり、16トラック、24トラック、48トラックと増えていきましたが、このレコードを超えるライブ盤がどれだけあるでしょう。
■ローディー、PA班、録音班の頑張り
優秀であったのは録音エンジニアだけではありません。後日、日本での3公演をフル収録したレコードが陽の目をみましたが、録音トラブルがひとつもないという、ノーミスの仕事ぶりに驚きました。つまり、結線から回線チェックといった当日の仕事ぶりもさることながら、機材メンテナンスなどの事前準備に至るまで、すべてにおいて完璧な仕事が為されていた事になります。
この来日公演、移動日を用意せずに大阪と東京を3日連続で実現していますが、大阪公演終了後の翌日に東京の武道館公演の設営を間に合わせたローディーやPA班、録音班の頑張りに感動してしまいます。徹夜で高速道路を走るなど、相当な頑張りがあったのでしょうね。
このレコードで、日本のPAや録音の仕事が高く評価されました。ヴォーカルのイアン・ギランは「録音の質の高さに感銘を受けた」と語り、以降、海外ミュージシャンの日本でのライブ録音は増え、マウンテンやマイルス・デイヴィスの録音に至ってはエンジニアも日本人が務めるようになりました。
■3日連続でセットリストがまったく変わらない本当の理由
72年の3日連続公演のセットリストを見ると、アンコールを除けば、曲どころか曲順まですべて同じである事に驚きます。実際のセットリストは、以下の通りです。
1. Highway Star
2. Smoke On The Water
3. Child In Time
4. The Mule
5. Strange Kind Of Woman
6. Lazy
7. Space Truckin’
(アンコール)
1. Black Night
2. Speed King(8/16のみLucille)
レコードも、アンコールは収録しなかったものの、あとはほぼこのセットリスト通りの収録です。唯一入れ替わった2曲目と3曲面は、音楽面での理由ではなく、LPレコードの収録時間を考慮したものでしょう。この時期のディープ・パープル自体がライブのセットリストをあまり変えない傾向にあったにせよ、驚きです。
変化しないセットリストから想像できることがいくつかあります。ひとつは、ライブ録音が意識されていた事。クラシックのライブ録音では、演奏をミスした箇所を差し替えられるよう、ゲネプロ(本番直前に行う通しリハーサルの事)も録音しておくことが通例ですが、ジャズやロックのバンドが通しリハをする事は稀です。まして、大阪から東京への移動を含め3夜連続公演となる強行日程のライブとなれば、なおさらだったのではないでしょうか。録音への意識があったからこそ、普段にも増して別曲を作らず、同じ曲のテイク違いを用意したのかも知れません。
ちなみに、8/16の大阪2日目だけアンコール曲のひとつを「スピード・キング」から「ルシール」に差し変えています。2日とも見に来るファンへの配慮かも知れませんが、それをシンプルなロックンロールの「ルシール」で済ませたあたり、それですら慌てて変更したのかも知れませんね。
■72年ディープ・パープルの音楽性とライブとの相性
まったく変わらないセットリストで、もうひとつ驚かされる事があります。同じ曲だけを3夜連続で演奏しながら、演奏の集中力がまったく落ちなかった事です。理由のひとつには、彼らの音楽の成立の仕方があったのかも知れません。
まったく同じセットリストなので、比較して聴くと、ディープ・パープルの音楽のどこがアレンジされたもので、どこがアドリブなのかは非常に分かりやすいです。メロディまでアドリブしてしまうフラメンコやモダンジャズのような視点から言うと、ディープ・パープルの音楽はアドリブの余地が限りなく少ないと言えるでしょうが、クラシックのように細部まで書きこまれた音楽からすれば、相当にアドリブの余地が大きいと言えます。恐らくスコア化された音楽ではなく、重要な部分だけは作られていて、あとは大体で合わせる音楽だったのではないでしょうか。オルガンまたはギターがアドリブ・ソロを取る曲もありますが、それですら大まかなラインが決まっている事が多いです。
この塩梅が、ライブ向きだったとは言えそうです。つまり、第2期ディープ・パープルの音楽は、演奏しながら創っていく必要があり、しかしそれは極度の集中力を要求される所までは行かないものでしょう。決め事の多い第1期ディープ・パープルでは、もっと神経をすり減らした事でしょう。その日の演奏に集中し、しかし疲労が翌日まで持ち越されない事、これが絶妙のテンションを保った理由のひとつではないでしょうか。
■大阪公演2日目が優秀であった理由
3日のうち、アルバム本編に採用されたテイクが多いのは大阪2日目となる8/16の演奏で、7曲中5曲がこの日の公演となっています。実際に良い(あるいは、レコード向きな)演奏が集中したわけですが、そこには偶然だけではない理由があったように感じます。
ひとつは、単純に2日目のメリットです。大会場でのライブは独特な緊張感を伴うものですし、またモニターなど様々な外的要因への慣れも要求されます。むろん、初日には初日のメリットはあって、もっとも集中力が出る時でもあります。ですから人やバンドによるのですが、ディープ・パープルの場合は2日目が嵌ったという事でしょう。例として「チャイルド・イン・タイム」を比較すると、1日目では展開部への入りが「はい、ここからです」というように急速にテンポ・チェンジしますが、2日目は奇麗にアッチェルして展開部に突入します。堅かった演奏が、慣れてきているのですよね。
もうひとつは、モニター環境が良かった可能性です。すべての公演で1曲目となった「ハイウェイ・スター」を比較すると、3日目となった日本武道館の公演では、ギターとオルガンが、互いの音をよく聴きとれていないように聴こえます。なぜこうなったのかを考えると、武道館ではモニター返しが大阪公演ほど良好でなかった可能性は、真っ先に思いつくところです。音楽用のホールではないですし、会場も大きいので、当然と言えば当然なのですが。
一方、大阪の会場となった大阪フェスティバルホールは、当時の日本でも上から数えられるほど優れた音楽ホールでした。もともと、ザルツブルグ音楽祭のような国際的な音楽イベントの使用に耐えるという見地から作られたホールです。クラシックのみならず、ロックでも山下達郎など、このホールを好むミュージシャンが続出したほどです。
このホールはPAルームを持っていた事も特徴で、72年当時にロックで使用できるホールで、PAルームを持つ会場は限られていました。会場にPA卓や録音卓を置くと、いかにヘッドフォンをしていたとしても、ロックのような大音量の音楽の場合、ヘッドフォンから聴こえる音とステージから直接聴こえる音が混ざってしまい、正しくバランスをとる事が難しくなります。しかし会場と分けられたPAルームを持つ場合、このリスクを低減できます。大阪公演における、ディープ・パープルのインタープレイの優秀さは、素晴らしいモニター返しもその一因になったのかも知れません。
■1曲しか採用されなかった日本武道館の演奏の凄さ
では、最終日となった日本武道館の公演は、あまり良い演奏ではなかったのでしょうか。そうではないように思います。ベースのロジャー・グローヴァーは武道館公演を「1万2千人か3千人の日本人が『チャイルド・イン・タイム』にあわせて歌っていた」と感激してふり返り、あれこそがディープ・パープルのキャリア・ハイだったとしています。
この感想には、バンドが経験した事のないほどの熱気や、バンドに対する思い入れを会場から感じたという事がふくまれているのでしょう。後年発表された武道館公演を聴くと、とくに後半で会場がどよめくほどに盛り上がっている様を窺い知ることが出来ますし、それに呼応するかのように、バンドの演奏も熱気あふれるものが多いです。ただし、それは裏を返せば荒さ/粗さにもつながっていて、何度も聴かれるレコードとして発表するにあたっては、傷が少なくまとまりもアンサンブルも良い大阪公演の方が上という判断だったのかも知れません。
■アルバムから漏れたテイクの聴きどころ
東京公演の熱気の頂点は、アンコールとなった「ブラック・ナイト」と「スピード・キング」に凝縮されています。「ブラック・ナイト」はジャムをしながらヴォーカルがオーディエンスとやり取りをし、そこから一気に曲に入るなど、聴衆の熱気とバンドが混然一体となった素晴らしさを感じます。「スピード・キング」に至っては、最後にはもう音楽ではないほどに乱れます。かように荒いので、この2曲だけを聴くと雑に聴こえるのですが、コンサートを通して聴くと、徐々にヒートしてこのアンコールに繋がっていく演奏やオーディエンスの熱に飲み込まれ、言葉にならないライブの素晴らしさを肌で感じる素晴らしいものでした。
このように、採用されなかった他のテイクにも素晴らしいものが数多くあると感じましたが、その良し悪しの多くは、ギターのリッチー・ブラックモアの出来次第で決まってくるように感じました。ジェフ・ベックやリッチー・ブラックモアは、三振もするが場外ホームランも打つバッターみたいなもので、ミスと凄さが表裏一体の、いかにもロック的なギタリストです。ミスと言っても、演奏から落ちるなどの大怪我はほとんどなく、少しミストーンを出した程度のものがほとんどで、鑑賞に値する素晴らしい演奏が多かったです。
その中から特に推薦を挙げるなら、8/15(大阪1日目)「スペース・トラッキン」。他の公演をはるかに凌ぐテンションの演奏です。しかし、オルガンがやり過ぎて時にはふざける所まで行ってしまい、ギターも飛び過ぎたのかアーミングだらけになってしまっています。高いテンションと引きかえに音楽性が下がった演奏なので、本採用とはならなかったのでしょうが、ファンなら一度は聴いてみる価値のある演奏と思います。
「レイジー」は、即興を聴かせどころにしているため、どの日の演奏も楽しめ、比較するのも面白いです。この曲は唯一武道館公演が採用になった演奏ですが、本筋だった8/16(大阪2日目)も素晴らしい演奏です。なぜわざわざ差し替えたかというと、ヘッドをブラックモアがミスしているから。やはり、良くも悪くもブラックモア次第なのでしょう。
■レコード高価買取に関するあれこれ
大雑把に書くと、このレコードは、元々は3公演からセレクトした2枚組LPレコードがリリースされ、次にそれにアンコールを加えたもの、さらに多くの演奏が加えられたもの(しかし3日間の演奏すべてを収録はしていない)、3日間の演奏すべての他に一部の映像やブックレットなどの付加物を加えたもの、という順でリイシューされ続けました。大元になるレコードは、元々は日本限定発売される予定だったもので、タイトルは『ライヴ・イン・ジャパン』。これはジャケットが武道館公演のヘッドショットとなっています。同内容のレコードが欧米では『Made in Japan』のタイトルでリリースされ、ジャケットが変わります。
以降、何度もリイシューされたものの中でプレミアになっているものをひとつ紹介させていただくと、全公演のほか、DVDなどもついた『ライヴ・イン・ジャパン SUPER DELUXE BOX 初回限定盤』、これは現在数万円の値段がつく事があります。
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