ダーウィンの書いた進化論を乱暴に要約すると、進化には目的や方向性がなく、そうやって生まれた多様なものの中から生き残るに適したものが生き残っていく、こう言っているのだと私は理解しています。適したものに進化して生まれたのではなく、生まれたものの中から自然淘汰されて生き残るものが出る、こういう事です。(*1)
1960年代後半、目に見えてロックが多様化しましたが、その背景に何があったのでしょうか。LPレコードやライヴ・コンサートで聴かれる機会が増えた事、そしてビートルズの登場を嚆矢として、レコード会社の抱えるプロ作曲家ではなく自分で音楽を創るミュージシャンが増え育った事。このふたつは特に大きな要因だったでしょう。これだけでも、ロックがカンブリア爆発を起こすに十分だったのではないでしょうか。
69年にイギリスで創設されたヴァーティゴ・レコーズは、こうしたロックのカンブリア爆発を見事にとらえたレーベルでした。その中には、ブラック・サバスやジェントル・ジャイアントのように自然淘汰を生き抜いたものも、時代のあだ花のように去っていったものもありましたが、どれも個性を持ち、いま聴いてもこれほど独創性にあふれるロックを紹介したメジャー系レーベルはないのではないかと思うほどです。
今回は、ヴァーティゴ・レコーズについて、いくつかの考察を交えながらご紹介させていただきます。
■フィリップス傘下という状況がもたらしたもの
オランダの電機メーカーであるフィリップスは、1951年にフィリップス・レコーズを立ち上げました。そして1969年、ロック系の社内レーベルとして、イギリスにヴァーティゴ・レコーズ Vertigo Records を創設します。フィリップス・レコーズ自体が国際色も音楽性も高いレーベルでしたが、ヴァーティゴもその特徴を引き継ぎました。
大資本のレコード・メーカーは、元々はオーディオというハードを売るためのソフトを作る目的で設立されたものが多くありました。フィリップスもそのひとつですが、それがヨーロッパの企業であり、かつ50年代からすでに国際展開していた事、これが傘下のレコード・レーベルの方向性に影響します。
合衆国電機メーカー系のレコード・レーベルはアメリカ音楽しかレコード化できなかったのに対し、ヨーロッパ企業であるフィリップスは、クラシック、シャンソン、フラメンコといった成熟したヨーロッパ音楽を数多くレコード化出来たメーカーでした。また、企業が国際展開していたために、アルゼンチンのフォルクローレ、キューバのマンボなど、多様な地域音楽をレコード化する事が出来ました。
音楽に対する成熟した耳と、国際感覚。フィリップスのこうした特徴は、ロックに特化されたヴァーティゴにも引き継がれます。
■国際性の豊かさ
ヴァーティゴの設立は69年、しかしフィリップス資本を離れるのははやく、その独自性を見せたのは設立からせいぜい数年でした。しかしこの数年がロックにとって大きな財産で、その国際色の豊かさは、他のロック系レーベルを圧倒するものでした。いくつかその例を紹介します。
フランピーFrumpy は、ドイツのバンドです。推薦盤はデビュー・レコード『All Will Be Changed』(‘70)。ハードロックと言えば一番近いでしょうが、アメリカン・ソングフォームでリフを強調したあのハードロック的な型には到底おさまらない音楽を生み出しています。オリジナルはカメレオンをかたどった特殊プラスチック・ジャケットで、プレミア盤です。
ライトハウスLighthouse はカナダのバンドです。推薦盤は『One Fine Morning』(‘71)。シカゴに優るとも劣らぬソリッドなセクションを抱えたブラス・ロックで、「One Fine Morning」はカナダのみならずアメリカでもヒットしました。70年代初頭のカナダを代表するバンドと言えば、間違いなくライトハウスです。
ベガーズ・オペラBeggars Opera は、スコットランドのバンドです。推薦盤は『Waters of Change』(‘71)。オルガンを擁し、ハードロックとプログレッシヴ・ロックの中間を行くバンドで、要所に挟まれるバッハなどの古楽趣味は、ロックが既にブルースやB&Bの延長に展開される音楽の域をすでに超えていたと思い知らされます。
こうした国際色の豊かさは、フィリップスという電機メーカーの国際展開に合わせたものですが、それがロックに幅を与え、かつ英米流通に乗って世界に紹介されたのは、実に大きな事だったのではないでしょうか。
■型にはまらない創造的な音楽の多さ
60年代後半、クラシック音楽を扱っていたイギリスの伝統あるレーベルがロックに進出したのは、ビートルズ獲得の失敗への反省があったと言われています。EMI はビートルズを獲得できましたが、デッカはビートルズをオーディションで落としました。クラシックのレーベルが音楽面からそう判断した事は当然と言えば当然ですが、しかし小さな国の国家予算を超える額を稼ぐ大きな魚を逃したことも確かでした。
ヴァーティゴも同様の判断から生まれたレーベルですが、ビートルズへの反省をもとに、既成の美的判断でアーティストを選ばない事、他レーベルが手をつけていない音楽に最初に唾をつける事、こうしたレーベルのコンセプトがあったのかも知れません。
そして、クラシックや成熟した世界の音楽を聴き分けてきた耳は、多様性の中から、クリエイティブなものを聴き分けていきます。
■ヴァーティゴが紹介したジャズ・ロック、プログレッシヴ・ロックの意味
初期ヴァーティゴのカタログを眺めると、レーベル経営を支えるすでに評価された音楽、ハードロック、ジャズ・ロック、プログレッシヴ・ロック、イングランド外のバンド、こう区分けする事も出来るそうです。
しかし、当時このように区分けされていたのかは疑問です。敢えて分ければそうというだけで、そもそもあるジャンルに則った音楽からはみ出るものが多すぎるのです。
マグナ・カルタMagna Carta は、プログレッシヴ・ロックと紹介される事もあるバンドです。しかし彼らの名を一躍知らしめた名盤『Seasons』(’70) を聴いて、現代の耳でプログレに聴こえる人はどれぐらいいるでしょうか。アコースティック・ギターとコーラスで作り上げるフォークを元に、それを組曲化し、古楽系楽器でアレンジした音楽、これに須沢強い用語が見当たらないだけではないでしょうか。
パトゥPatto も、プログレッシヴ・ロックと呼ばれる事の多いバンドです。有名作は『Patto』(’70) ですが、このレコードを聴いて、誰もが思い浮かべる音楽は間違いなくハードロックでしょう。ただ、ギターのオリー・ハルソールが時代にそぐわないほどのタッピング演奏を披露したフリー・インプロヴィゼーションが入っており、この曲だけが特異なのです。これを指すジャンルの名称は、ロックでは見当たりません。
つまり、ヴァーティゴが紹介してきた音楽のうち、あまりに個性的で相応しい固有名詞がない区分け不能な音楽は、すべてジャズ・ロックやプログレッシヴ・ロックに区分けしたというだけではないでしょうか。それほどに個性的な音楽が目白押しであったのが、初期ヴァーティゴでした。
■ハードロックもまた然り
ヴァーティゴは、ハードロックの名門としても知られています。ヴァーティゴでもっともセールスに成功したバンドは、ブラック・サバスでしょうし、ユーライア・ヒープもそれに次ぐバンドでした。たしかに彼らはハードロックの雄として名を残しましたが、その初期作品は、とてもハードロックという型だけで語れるものではありません。
ブラック・サバス『Black Sabbath 黒い安息日』(‘70) は、雨と教会の鐘の音から始まり、魔術を題材にした詩が続き、10分を超す構成を持つ大曲で幕を閉じます。もしハードロックというジャンルが確立していなかったら、これとてプログレに入っていたかもしれません。
■レーベル単位でレコードを聴きたくなる数少ないメジャー系ロック・レーベル
60年代末というロックのカンブリア爆発期に、売れ筋にこだわらず、個性を持った音楽を数多く紹介した初期のヴァーティゴは、レーベル単位で聴きたくなるカタログを持っています。ブラック・サバスやジェントル・ジャイアントであればジャンルを掘り下げてもアーティスト単位でもたどり着く事が出来るでしょうが、そういう聴き方ではとてもたどり着かない、しかし魅力あふれる音楽が、ヴァーティゴには多すぎるほど多くあります。私の場合、マンフレッド・マン・チャプター・スリーの素晴らしいデビュー作(*2) は、ヴァーティゴを意識していなければ一生聴く事のなかった音楽でした。
現在、初期ヴァーティゴのレコードは、大変なプレミアとなっているものが多くあります。もしヴァーティゴのレコードを譲ろうとお考えの方がいらっしゃいましたら、それが有名アーティストでなくても、価値の分かる専門の買い取り業者に査定を依頼すれば、思わぬ高値をつけてもらえるかもしれませんね。
(*1)『種の起源』ダーウィン著・八杉龍一訳、岩波書店、『ダーウィン以来』スティーヴン・ジェイ・グールド著、浦本昌紀・寺田靖訳、早川書房を参照
(*2)『Manfred Mann Chapter Three』(Vertigo, 1970)