戦後、欧米のポピュラー音楽を取り入れて大きく動いていった日本の歌謡音楽ですが、戦前まで禁じられていた西洋音楽の作曲家/演奏家の不足、民謡などを取り入れた日本音楽との兼ね合いなど、さまざまな衝突や折衷が繰り返されました。その中で次第に本流となっていたのがポップスですが、日本音楽の歌い回しに翻訳しないまま西洋のリズムのまま歌えるシンガーが登場、それが弘田三枝子(ひろたみえこ)でした。
弘田三枝子は、ティーブ釜萢が設立した日本ジャズ学校(日野皓正などの卒業生が有名)に学び、小学生のころから進駐軍キャンプでジャズを歌っていた筋金入りのヴォーカリストです。62年に洋楽のカバー「ヴァケイション」を歌って大ヒットを飛ばし、日本のポップスの草分け的存在として活躍しました。黄金期は64~66年ごろ、69年には自身最大のヒットとなった「人形の家」を歌い、見事に復活を果たしました。
今回は、弘田三枝子の名盤や高額買取りレコードを紹介させていただこうと思います。
■弘田三枝子 / ヒット・キット・パレード 第3集 (東芝, 1963)
14歳にしてデビューした時の曲がヘレン・シャピロ「子供ぢゃないの」、翌年に飛ばした最初のヒット曲がコニー・フランシス「ヴァケイション」と、60年代初期の弘田三枝子は、洋楽を歌える歌手としての側面を強く感じます。ジャズでもポップスでも英語でそのまま歌いこなしてしまう彼女の力量を活かそうとした判断だったのでしょうが、これに応じて東芝は洋楽ポップスのカバー・アルバムを3作立て続けに制作しました。この第3集には「ヴァケイション」が含まれています。他にもシングルにもなった「想い出の冬休み」(コニー・フランシスのカバー)なども収録され、グループ・サウンズ登場以前にいよいよ立ち上がったJポップスの初期衝動を聴く事が出来ます。
洋楽のカバー集「ヒット・キット・パレード」シリーズはいずれも10インチ盤で、レコードは状態が良ければいずれもなかなかの値段がつく事が多いです。中でも「ヴァケイション」収録の第3集は人気が高く、2021年7月のネットオークションでは赤盤が7700円の値をつけて取引されました。
■弘田三枝子 / ニューヨークのミコ (日本コロムビア, 1966)
デビュー当時の弘田三枝子に不幸があったとすれば、当時の日本の歌謡音楽界が弘田三枝子の得意とした音楽やその歌唱力に追いつけていなかった点が挙げられるでしょう。島倉千代子やザ・ピーナッツ全盛時に、ジャズでもポップスでも歌いこなした事は見事ですが、それでも聴衆に分かりやすいようにわざわざカタカナ英語に書き変えた詞を歌わなければならず、バンドも本格的なヴォーカルを支えるだけの表現力には至っていませんでした。
本作は、ニューヨークで録音されたジャズ・アルバムです。伴奏はビリー・テイラー・トリオで、弘田三枝子が日本人として初のニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演したのちに即録音となりました。弘田がはじめて実力をセーブせずに歌えた録音なのでしょう、現役のピアノ・トリオを向こうに回してスキャットでアドリブを取って渡り合ってしまうさまは壮観としか言いようがありません。その能力は、以降のJポップスにたびたび登場する物真似ジャズとは一線を画すもので、日本人ジャズの初期作品にして大名盤とも言えるのではないでしょうか。
ポップスの人が歌ったジャズではなく、純ジャズそのものとして高く評価されるこのレコードは、リリース元の日本コロムビアも高く評価しており、21世紀に入ってからレコードが再生産されました。それでも人気が高いのは帯つきオリジナル盤で、状態さえ良ければ高額必至です。
■ジャングル大帝 ヒットパレード (日本コロムビア, 1966)
手塚治虫原作、冨田勲スコアによる日本初のカラーTVアニメ作品のサウンド・トラック盤です。巨大予算の約1/3が音楽にあてられ、作曲は当時の歌謡音楽の作家陣ではとうていかなわない冨田勲、筆舌に尽くしがたいスケールの大きい素晴らしい音楽です。このアニメが海外に輸出された際、アメリカのバイヤーが音楽の素晴らしさに戦慄したという逸話は今も語り草です。
恐らくミュージカルを想定したのでしょう、曲をストックして充てるのではなく、シーンごとに書き下ろしたとしか思えないカラーのはっきりした構成力ある曲が並びます。アニメの舞台となるアフリカの打楽器音楽を織り交ぜたエキゾティカ調の曲、管弦楽曲、ジャズ・ビッグ・バンドと、これだけ多彩な音楽に対応する当時の日本のポピュラー・シンガーというと、たしかに弘田三枝子しかいなかったかもしれません。歌曲が多くを占めるこのレコードの中で、弘田三枝子は5曲という最多曲数を受け持っています。エンディング曲「レオのうた」に胸を熱くする人も多いのではないでしょうか。
初回リリースの10インチ盤は高額必至、ジャケットの図柄が変わった再発12インチ盤も一定の値段がつく事が多いです。なお、ジャングル大帝絡みでは、アニメ・スコアをもとに交響詩として再アレンジしてフル・オーケストラで再演する流れの出発点となった『ジャングル大帝 子どものための交響詩』も高く評価されており、これはCDが数万円を超す超プレミア価格で取引されています。
■弘田三枝子 / 人形の家 (日本コロムビア, 1969) *EP盤
エルヴィス・プレスリーが伝説となりながらビートルズ登場の前に霞んでいったように、弘田三枝子はグループ・サウンズのブームによって影が薄くなってしまいました。そんな弘田の復活劇となったのが69年「人形の家」のヒットでした。曲想はムード歌謡、ポップスでは強拍を強く意識してモーダルな発声での歌唱を強いられていた弘田三枝子が、いままでにない日本的な情緒を持ったミックス・ヴォイスと歌い回しで歌い込んでいることに驚きます。ハートある歌唱の裏には技術の研鑽があるのですね。初期の洋楽ポップスの伝道師とも、本格派ジャズ・ヴォーカルとも違う、素晴らしい曲と歌唱でした。
■黎明期Jポップ屈指のヴォーカリストは再評価が進み、レコードの買取り価格にも繁栄
今回とりあげさせていただいたレコードはいずれも弘田三枝子を代表するヴォーカル・スタイルの傑作ですが、いずれもまったくジャンルが違う点に驚かされます。これ以外にも日本のR&Bの走りとなったライブ・アルバム『ミコR&Bを歌う』という評価の高いアルバムも、これまたジャンル違い。ボーダーレスで日本のポップスの先駆者となった素晴らしいシンガーでした。
もし、弘田三枝子のレコードを譲ろうと思っていらっしゃる方がいましたら、その価値が分かる専門の買い取り業者に査定を依頼してみてはいかがでしょうか。