60年代後半、安全保障条約をめぐって日本社会が揺れ動く中、反戦フォークの高まりの中で「フォークの神様」と呼ばれたのが、岡林信康です。滋賀に生まれ、同志社大学に進んで京都に移り、68年に京都で行われた第3回フォークキャンプに参加して頭角をあらわし、プロデビュー。政治でもアメリカでも平然と風刺していくそのスタイル故にカリスマ化すると同時に、それゆえに多くの曲が発売中止や放送禁止に追い込まれました。音楽から離れ、京都の山奥に籠って農業に従事した事もあり、最初の引退となるまでのURC時代は特に高く評価されています。

今回は、岡林信康の名盤や高額買取りレコードを紹介させていただきます。

■LPレコード「わたしを断罪せよ 岡林信康フォーク・アルバム第一集」 (URC, 1969)

ビクターからシングルをリリースするも、詞の内容を巡って発売中止が続いたことで、岡林は自由に発言できるレコード・クラブとして発足したURCに拠点を移します。数枚のEPをリリースしたのちに発表された岡林信康のファースト・アルバムがこれです。EPの中では、ビクター時代は発禁となった「くそくらえ節」(のちにURCよりライブ盤が発売)、部落問題を扱った「チューリップのアップリケ」は入っていませんが、70年代安保闘争における学生運動の心のよりどころとなった歌「友よ」が収録されました。

 つのだひろ加入後のジャックスのメンバーがバックを務めた2曲を除くと、ほぼ岡林信康と中川イサトのアコースティック・ギターのみの伴奏でのフォークソングです。ボブ・ディラン「戦争の親玉」などのカバーもしていますが、白眉は民謡などの日本音楽の匂いと、60年代末の政治面で揺れる日本での市民の心情や思索、このふたつがにじみ出た日本産の歌ではないでしょうか、

「山谷ブルース」と「お父帰れや」は、日雇いあるいは出稼ぎの労働者を題材とした歌で、仕事から戻らない夫を思う妻の心情などが歌われます。無伴奏独唱となる「モズが枯木で」は、日本が満洲へと進出した時代に書かれた歌。モズの鳴き声がする寒い季節、今年は薪を割る音がしないが、それは兄が鉄砲をもって満州に行ったから。

戦勝国アメリカの軍隊が日本に駐留し続け、冷戦下で代理戦争が続く中、自分たちの未来を築こうと社会運動を起こした、当時の日本の市民の心情がにじみ出すような音楽でした。

■岡林信康アルバム第二集 見るまえに跳べ (URC, 1970)

ディレクターにジャックスの早川義夫、バンドにはっぴいえんどを起用した、セカンド・アルバムです。ここで岡林の音楽は大きく転換、演奏はアコースティック・ギター弾き語りのフォークから、エレクトリックなバンド編成のフォークロックへと変わり、音楽はプロテスト・ソングをはじめとした社会派のフォークから、日常を歌うものへと変わりました。

ジャックスまたは早川義夫がらみの曲を4曲とりあげるなど、岡林信康のアルバムというより、岡林信康、はっぴいえんど、早川義夫の共作というニュアンスの強いアルバムです。

■「大いなる遺産」 (URC, 1975)

1971年に岡林信康は音楽をやめ、京都で農耕生活を始めました。迷いながらも最善を求めて実行するその真摯な生き方自体が、ポーズだけではない社会派のフォークシンガーと感じますが、その岡林が復帰後に出されたURC時代の未発表を含む貴重な音源集が、このアルバムです。

コンサート音源なども収録されていますが、注目は、岡林信康をプロテスト・フォークの先鋒として一躍有名にしながら、アルバムには収録されなかったURC時代のシングル収録曲が収められている事でしょう。ビクターでは発売中止となったEP「がいこつの唄」と「くそくらえ節」はライブ録音。社会風刺を含んだ詞というと、なんだか厳しい音楽に思われるかもしれませんが、実際は聴衆と楽しくコミュニケーションをとりながらコミック・ソングのように仕上げています。

部落の子どもを扱って放送禁止となった「チューリップのアップリケ」、飯場を渡り歩く労働者の心情を描く「流れ者」なども収録されており、シングルを買わずにURC時代の岡林信康を聴くなら、外す事の出来ないレコードでしょう。

■レコード高価買取に関するあれこれ

反戦フォークやプロテスト・ソングという側面も持っていた、デビュー時の岡林信康は、詞の内容から音盤化しにくい曲がいくつもありました。有名な所では、68年にビクターから発売が決まっていた「くそくらえ節」は、発売中止。岡林のMCを信じるのであれば、「がいこつの唄」もやはり、録音以前に発売禁止となったそうです。

これがURC移籍により、ようやくEP『くそくらえ節 w/がいこつの唄』として陽の目を見たのですが、このEPは、のちのベスト盤などで編集される事もあったMCも収録。このMCが軽妙洒脱でとても面白いのですが、恐らくそれゆえに、このEPはそれなりの値段がついています。

もし、岡林信康のレコードを譲ろうとお考えでしたら、その価値が分かる専門の買い取り業者に査定を依頼してみてはいかがでしょうか。思わぬ高額買取りをしてくれるかもしれません。