グラムロック期を過ぎ、居をアメリカに移したデヴィッド・ボウイは、70年代後半からさらにドイツのベルリンに移り住みます。この時代にボウイは『Low』『Heroes』『Lodger』という3枚のアルバムを作りあげましたが、現在この3作は「ベルリン3部作」とも呼ばれ、音楽的に高い評価を受けています。
まだデヴィッド・ボウイの音楽を聴いた事がない人に1枚だけレコードを推薦するとしたら、私なら間違いなくベルリン時代のレコード。中でも、ポップさとアートの同居した『ヒーローズ』は、ボウイという人間のふたつの側面を見事に反映した傑作ではないでしょうか。
■ボウイ生涯随一のプレーヤーを揃えたベルリン時代
街を歩いても誰にも騒がれず、過去のしがらみからも離れる事の出来たベルリン時代は、ボウイにとって特別の時代だったようです。そこで彼がサウンドやアンサンブル面で大きく頼る事になったのが、シンセサイザー音楽を創り出していたブライアン・イーノでした。もしかすると、ボウイのベルリン移住も、シンセサイザー音楽のメッカであったドイツに憧れた面もあったのかも知れません。
それまでのボウイは、ロックンロールのバンドマンたちと仕事をしていましたが、シンセサイザー音楽の道を切り開いていたブライアン・イーノや、クラシックやジャズも学んでいたロバート・フリップは、音楽面では格違いです。余談ですが、ロバート・フリップはこのレコーディングのためにドイツを訪れ、スタジオに入って「今やっている事を聴かせてもらえますか?」といって音を聴くや、数時間で録音を済ませ、翌日には飛行機に乗って帰っていったそうです。
ブライアン・イーノとロバート・フリップの音楽性の高さはボウイ自身も魅せられたようで、インスト曲が続くこのレコードのBサイドなど、デヴィッド・ボウイではなくフリップ&イーノの作品と言って良いほどで、まるで『Evening Star』の続きのようです。
この時代がなければ、デヴィッド・ボウイはフェイク・スターに留まっていたかもしれず、音楽面でデヴィッド・ボウイが最も高いところに行けたのは、この時期ではないでしょうか。
■レコード高価買取に関するあれこれ
このレコードのファンは多く、77年リリースの日本盤帯・ライナーつき(帯が太く、オレンジと濃紺の2色刷りとなっているのが特徴です)は5000円を超える事が普通に起きています。このレコードは世界発売され、またドイツ録音のためオリジナル・マスターからプレスマスターが作られたのがどの国の盤だか判然としませんが、海外ではドイツ盤が高額となる事が多いところを見ると、もしかするとドイツ盤がオリジナル・マスター起こしなのかも知れません。
もし、デヴィッド・ボウイのレコードを譲ろうと思っていらっしゃる方がいましたら、その価値が分かる専門の買い取り業者に査定を依頼してみてはいかがでしょうか。