ジャズ・エイジの1920年代にニューヨークに生まれ、マンハッタンにある音楽学校でピアノを学び、モダン・ジャズにおけるピアニズムの先鞭をつけたひとりが、ケニー・ドリューです。
若くしてコールマン・ホーキンスやレスター・ヤングといったクラシック・ジャズの超大物プレイヤーに起用されて頭角を現し、ついにはジャズを革新したモダン・ジャズの巨人チャーリー・パーカーとも共演。パーカーの斬新なチェンジについていけるプレイヤーが限られていた時代にサイドマンとして役割を果たしたことで、ブルーノートのアルフレッド・ライオンやヴァーヴのノーマン・グランツから注目されたのでしょう。ハードバップ全盛となる直前の1953年に両レーベルに録音を残すという、ジャズ・ミュージシャンとして素晴らしいスタートを切りました。しかしモダン・ジャズ黄金の50年代に時流に乗れたとはいいがたく、不運の重なったジャズ・ピアニストでもありました。
今回は、そんなハードバップの名ピアニストであるケニー・ドリューの名盤や高額買取りレコードを紹介させていただこうと思います。
■New Faces, New Sounds (Blue Note, 1953)
『Sonny Rollins with the Modern Jazz Quartet』(Prestidge) など、サイドマンとしては51年時点で録音を残しているケニー・ドリューですが、リーダー作としてもっとも古い録音はこの53年Blue Note盤です。先に「パーカーのチェンジについていけた事で、ライオンやノーマン・グランツといったニューヨークのジャズ・レーベルのオーナーの注目を集めたのではないか」と書きましたが、それはあくまで想像です。しかしそうとしか思えない演奏が、このレコードには記録されています。
40年代後半に大流行してジャズに衝撃を与えたチャーリー・パーカーの音楽の斬新さを簡単に言うと、コード進行の複雑化とそのアドリブへの応用ですが、理論も技術も必要なそうしたアプローチに、いきなりすべてのジャズ・ミュージシャンがついていけたわけではありません。ピアノの場合はバド・パウエルがバード・チェンジに追い付いた最初であり、ケニー・ドリューは恐らくその次に来たピアニストです。本作の1曲目「Yesterdays」のブローイングコーラスでのチェンジを含めた演奏は、53年の時点でバド・パウエル以外のピアニストが弾いたものとしては出色です。また、ブルース弾きとは違い、これだけのチェンジの中で常に左手で和声づけをしていく所も、しっかりと音楽教育を受けてきたピアニストと感じさせられるものでした。
このレコードは10インチ盤としてリリースされ、ブルーノートのUSオリジナル盤は75年再発盤を含めても12インチ盤がありません。中でもプレス数の少ない53年オリジナルはレアで、状態が良ければ1万円超えは当たり前、現状(2021年)の海外のネット・オークションでは日本円に換算して4万円近い値段のものもありました。
このレコードを最も評価したのは日本で、1983年以降の復刻はLPもCDもすべて日本が行っています。なお、日本盤レコードにはボーナストラックとして別テイクが収録されており、これもなかなかの価格で買取りされています。
■Kenny Drew And His Progressive Piano (Norgran, 1954)
53年当時、まだ25歳だった新人ピアニストのケニー・ドリューに目をつけたのは、ブルーノートだけではありませんでした。ジャズの名プロデューサーであるノーマン・グランツもケニー・ドリューに目をつけ、のちに名門レーベルとなったヴァーヴ誕生前のノーグラン・レコードにケニー・ドリューのリーダー作を残しています。
このレコード、基本はピアノ・トリオ編成ながら、ソロ・ピアノも収録されています。これがハードバップとは一線を画した素晴らしいバラード演奏です。ケニー・ドリューは晩年にムード・ミュージックのような日本制作アルバムを何枚かリリースしましたが、素養としては近代フランスのピアノ音楽へのリスペクトが強かったピアニストだったのかも知れません。
このレコード、53年にリリースされた際には『The Modernity of Kenny Drew』というタイトルの6曲入りアルバムで、ジャケットも違うものでした。数が少ない『The Modernity』は初期プレスの音質への期待だけでなく希少価値も高く、高額での買取りが期待できます。アメリカでの再発は56年で、この時にタイトルが『Kenny Drew And His Progressive Piano』へと変わりましたが、USオリジナル盤はここまでで、いずれもNogranレーベル表記です。以降の再発はすべて日本で、ここでレーベル表記がVerveとなるものが出てきます。
■Undercurrent (Blue Note, 1960)
本来ならばハードバップの中心で活躍しておかしくなかったケニー・ドリューの遅すぎたブルーノート復帰作です。フレディ・ハバードとハンク・モブレーというブルーノート人脈を駆使したクインテットで、ハードバッパーとしてのケニー・ドリュー最高傑作と思います。バンド全体の熱気がすごく、終わりつつあったハードバップ・ブームの最後に生まれた名セッションです。
ジャズの人気レコードのひとつで、何度となく再発されましたが、発表時はモノラルでした。USオリジナル盤であれば3万円超えは当たり前、状態が良いものでは7万円近い値段のつく事もあります。77年に本作をリイシューした日本盤はステレオ化が施されましたが、これが見事なステレオ化で、リイシューながら音質も素晴らしいです。中古レコードとしてそこまでのプレミア化はしていませんが(それでも安く買うのは難しいです)、ステレオミックスはスモール・コンボの立体感を見事に表現した名作ではないでしょうか。
■Dark Beauty (SteepleChase, 1974)
50年代というジャズのブームが去り、アメリカ音楽がポップスやロックといった若者向けの音楽一色になった頃、多くのジャズ・ミュージシャンが、大人の音楽を聴く文化を残していたヨーロッパに居を移しました。ケニー・ドリューもそのひとりで、最初はフランス、そしてデンマークへ移住しました。
このレコードはデンマークのスティープルチェイスからリリースされ、分離の良い録音で話題となりました。ニールス・ペデルセンのアンプを通したアップライト・ベースに、低音を削ってまるでステージピアノのように響くピアノは、フュージョン時代に生き残りをかけるアコースティック・ジャズの挑戦だったのでしょうね。
■人気はやはりアメリカ時代のレコード
デビュー作にしてイーストコースト最先端のピアノ演奏をしておきながらレコードは売れず、西海岸へ移住。しかし西に移れば今度はウエストコースト・ジャズが斜陽。60年にブルーノートに復帰した時にはハードバップが斜陽。活路を見出すためにヨーロッパに移住…50年代ハードバップのムーヴメントの中心にいてもおかしくなかった音楽性と技術を持っていたケニー・ドリューが、もしブルーノートで録音を続けていれば、ハードバップの歴史もドリューの人生も、まったく違ったものになっていたかも知れません。ビバップには遅すぎ、ハードバップには早すぎたピアニストを生前から高く評価したデンマークや日本のような国があった事は、ミュージシャンにとってもリスナーにとっても幸せなことだったのかも知れません。リーダー作を発表して以降ケニー・ドリューのアメリカでの活動は7年ほどで、ヨーロッパでの活動の方が長いですが、現在高く評価されているドリューのレコードを見る限り、それでもドリューの評価はアメリカ時代のハードバップ時代が一番なのかも知れません。
もしケニー・ドリューのレコードを譲ろうと思っていらっしゃる方がいましたら、その価値が分かる専門の買い取り業者に査定を依頼してみてはいかがでしょうか。