世紀の単位で言うと、西洋世界でアメリカ合衆国は音楽後進国です。ドイツ音楽の20世紀初頭のレベルにアメリカが追い付いたのですら、ヨーロッパからの亡命音楽家がアメリカにやってきた第2次世界大戦以降でした。

アメリカとドイツは文化差も大きく、世界最大のオーケストラ保有数を持つドイツの知性主義/純音楽な傾向に比べ、アメリカは反知性主義/産業音楽の傾向にあります。この差は、もともとアメリカ音楽であったジャズの受け取り方にもあらわれているように感じられます。ドイツもジャズの盛んな国でジャズ・レーベルの数も多いですが、ジャズを芸術音楽として扱うレーベルが少なくない点はアメリカとの大きな差です。

今回は、そんなドイツで60年代から活動しているレーベルであるMPS レコードと、その名作レコードを紹介させていただきます。

■Hans Koller / Vision (SABA, 1966)

MPS レコードは、ドイツの電機メーカーSABAの音楽ソフトのジャズ部門としてスタートしました。MPS というレーベル名が冠されたのは恐らく71年ごろですが、それ以前からSABA は音楽レコードをリリースしており、本作はその中のひとつでした。MPS を立ち上げた際に、最も若いカタログ番号が配された記念すべき一枚でもあります。レーベル第一号にするに値するだけの内容を持った音楽であると確かに感じます。

ハンス・コラー(ハンズ・コルラー)は、モダン期のドイツ・ジャズを代表するサックス奏者のひとりです。メインストリームから前衛までなんでも来いのプレイヤーですが、モダン・ジャズをベースに、随所に実験的な作風が顔を出す本作は、そんな彼の特徴がよくあらわれています。白眉はアルバムタイトルにもなっている冒頭曲「Vision Ⅰ」。高速で乱高下を繰り返すサックス群がミニマル状になって異様なヘテロフォニーを形成しており、ドイツのジャズ・ミュージシャンの音楽レベルの高さを示すレコードとも言えそうです。

MPS レーベル1号となった本作ですが、SABA 時代からドイツ国内でのリリースしかないために国外盤が存在せず、CD化も行われていません。ゲートフォールド(見開きジャケット)となっているSABA 盤は見つかれば高額必至で、現在の日本では1万円ほどの相場のようです。MPS 盤もSABA ほどではないもののやはり高額。しかし価格以上に音楽自体の素晴らしさを推薦したいレコードです。

■Oscar Peterson / Hello Herbie (MPS, 1969)

MPS のプロデュース体制を簡単に述べると、ふたつの中心があります。ひとつは、もともとSABAの重役であったハンス・ゲオルグ・ブルナーシュア Hans Georg Brunner-Schwer。彼が発起人となってSABA からMPS レコードが独立する事になるのですが、ブルナーシュア自身が自宅に録音スタジオを構えるほどの録音マニアで、レーベル設立以前からジャズ・ミュージシャンを自宅に招いて録音を繰り返していたそうです。ブルナーシュア自身のプロデュース作品を見る限り、彼がMPS にオーソドックスなジャズの側面を与えていたのかも知れません。

ピアニストのオスカー・ピーターソンはMPS のオーソドックス路線の代表格で、彼は多くのレコードをMPSに吹き込みました。中でも名作として有名なアルバムがこれです。ピーターソンのトリオにギターのハーブ・エリスが客演し、軽快なアップテンポ曲、ハートウォーミングなジャズ、そして心にしみるバラードなどが並びます。オールド・スタイルのジャズが持っているレイドバック感とエンターテイメントな楽しさ満載の名作です。

■Archie Shepp / Life At The Donaueshingen Music Festival (SABA, 1967)

 MPS で一方の中心となったのが、ドイツの高名なジャズ評論家にしてオーガナイザーのヨアヒム・ベーレントです。ベーレントはベルリン・ジャズ・フェスティバルでオーガナイザーを務めるなど、評論家の枠を越えてドイツのジャズシーンで大きな役割を果たした人です。ベーレントはブルナーシュアより音楽に通じていたようで、より先鋭色が強いディレクターでした。そんなベーレントを引き入れた事で、MPS は有名ミュージシャンの名が並ぶばかりの内容の薄いレーベルに陥ることなく、気骨あるジャズ・レーベルとして後世まで名を残す事が出来たのでしょう。

 アメリカの60年代フリージャズの中心人物のひとりだったアーチー・シェップのドイツ公演をアルバム化した本作は、今も名盤として知られています。レコード1枚で1曲という構成ですが、退屈している暇がありません。イントロダクションとなるジミー・ギャリソンのルバートによるコントラバス独奏、一気に加速するコンボ演奏パート、本作で有名な「いそしぎ」パート、20分以上が経過してから決まるグレシャン・モンカー3世とラズウェル・ラッドのトロンボーンのトゥッティと、普通のジャズでは考えられないほど練り上げられた構成が見事です。

元々はSABA からリリースされ、のちにMPS から再リリースとなったレコードですが、ドイツ本国でのMPS盤が71年であったのに対し、69年にリリースされた日本盤にはすでに「MPS Records」という表記がされている点が面白いです。前述のとおり、ドイツでのMPS の名は恐らく71年から使われ始めたと思うのですが(少なくとも最も若いカタログ番号のレコードの発表が71年)、日本はそれに先行していたという事でしょうか。

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■名作の多いドイツの老舗ジャズ・レーベルは人気盤も多い

今回はドイツ人ミュージシャンもの、ブルナーシュア色の強い保守ジャズの代表作、ベーレント色の強い進歩派ジャズの代表作の3つを紹介させていただきましたが、MPS には他にも人気レコードが目白押しです。ハンガリー人ジャズ・ギタリストのアッティラ・ゾラー参加『Zoller Koller Solal』はレコードで見つかれば超高額。アメリカとドイツの進歩的なミュージシャンが共演を通して進化していくドン・チェリー『Eternal Rhythm』やAEOCを含むオールスター・セッション『Gittin’ To Know Y’All』、のちにドイツの先鋭ジャズの核のひとつとなっていくアレクサンダー・ヴォン・シュリッペンバッハ率いるグローブ・ユニティ初期の名作『SUN』などは、アメリカのジャズ・レーベルではとても作れなかっただろう音楽です。ジャズにドイツ色をぶつけ、エンターテイメントではないドイツならではの芸術音楽としてのジャズを数多く生み出し、そして紹介した点こそ、MPS レコード最大の特徴だったかもしれません。こういう芸当は、そこまで大量に売らずに済む分だけ内容にこだわりのきくマイナーレーベルの方が得意そうなものですが、電機メーカーの作ったレーベルがこれだけの水準の音楽を紹介したところに、ドイツの音楽文化の高さを感じます。

MPS はかつて日本盤も積極的に出されたレーベルですが、それでも先鋭的なジャズを扱うレコード店でないと、正当な価格での査定や買取りをしてもらえないかも知れません。もしMPSのレコードを譲ろうと思っていらっしゃる方がいましたら、その価値が分かる専門の買い取り業者に査定を依頼してみてはいかがでしょうか。