世代的なこともあり、ビートルズですら古すぎると感じていた学生時代、エルヴィス・プレスリーとなると神話の中の登場人物ぐらいの感覚でした。ところがふとしたきっかけで見た70年代のエルヴィス・プレスリーのドキュメンタリー映画が大転換点で、圧倒的な歌唱力とパフォーマンスに目がくぎ付け。客席の女性たちが両手を広げて嬌声をあげ、客席に降りていったプレスリーがファンの女性を抱きしめてキスをする…こんなパフォーマンスが許され、そして似合う人は、この人以外に誰がいるでしょう。私がロックのヴォーカリストにカリスマを感じたのは後にも先にもこの人だけ、エルヴィス・プレスリーです。

エルヴィス・プレスリーは1950年代に勃興したロックンロールのオリジネイターのひとりで、その絶大な人気から「キング・オブ・ロックンロール」と呼ばれました。デビュー前に自費録音した伝説のセッションから活路を見出し、54年に青春時代を過ごしたメンフィスのラジオでローカル・ヒット。以降は飛ぶ鳥を落とす勢いで全米に人気が飛び火し、56年には「ハートブレイク・ホテル」「ハウンド・ドッグ」と全米1位曲を連発。黒人音楽との融合や派手に腰を振るパフォーマンスがアメリカの白人保守層からの反発を招く一方、それまでは大人の文化であった欧米の大衆音楽の中に、若者向けのティーンエイジ文化を生み出す最大の要因ともなりました。

今回は、いまや合衆国の歴史の一部となった観すらあるエルヴィス・プレスリーの名盤や高額買取りレコードを紹介させていただきます。

■Elvis Presley (RCA, 1956)

プレスリーの出世物語はアメリカン・ドリームそのものです。1954年、自主録音をきっかけに制作された「ザッツ・オールライト」がローカルラジオ局で流されると問い合わせが殺到、一晩に7回もかけられるヒットとなります。これをきっかけにカントリーのチャートで知名度を上げ、いよいよアメリカ全土に知れ渡ることになったのは56年発表のシングル「ハートブレイク・ホテル」。USチャート1位はもちろん、カントリーチャートも1位、なんと黒人のR&Bチャートですら3位という異例の事態になります。以降、プレスリーは56年だけで5曲の全米1位曲を世に送り出しました。

プレスリーの全米ブレイクとなった56年に制作されたのが、このファーストアルバムです。1曲目に収録されている「Blue suede shoes」がすでに強烈。カントリー&ウエスタン調のアコースティック・ギターのストロークに、R&B調のエレキギターのソロにスラッピング・ベース。これはいわばアメリカ白人音楽C&Wと黒人音楽R&B/R&Rのハイブリッドで、エルヴィスのロックンロールの傾向がこれほど良くあらわれたパフォーマンスもないでしょう。

ロックがついに白人に許容されるに至った伝説の年に生まれた伝説のアルバム、USオリジナル盤は状態が良ければ高額必至、5万円に迫る値をつけたものも何度も見かけたことがあります。

■Elvis (RCA, 1956)

プレスリー旋風が巻き起こる中、ファーストアルバムと同年に立て続けに発表されたセカンドアルバムです。地元メンフィスでのブレイクから全米の頂点に立つまでのエルヴィスの音楽は、ヴォーカルの格好良さだけでなく、スコッティ・ムーアというカントリーからキャリアをスタートさせたギタリストの存在が大きいです。セミホーロウのギターを使うR&Bやロックンローラーが多い中、ギブソンのフル・アコースティック・ギターを使ったプレイはカントリー・ミュージックをロックに衝突させた見事さで、マール・トラヴィスやチェット・アトキンスの音楽をロックに昇華させたその演奏は、作曲者ですら凡作と評していた「Love Me」をよみがえらせ、リトル・リチャードによるピアノロックの大傑作「Long Tall Sally」をギターロックに塗り替えます。

エルヴィス・プレスリーといえば50年代、なかでも初期2枚のアルバムとシングルはロックファンなら必聴です。ファーストアルバムの絶大な人気には及ばないものの、USオリジナルのレコードはやはり高額化する傾向があります。

■On Stage (RCA, 1970)

チャック・ベリーやリトル・リチャードといった錚々たるミュージシャンを抑えて「キング・オブ・ロックンロール」と称されたエルヴィス・プレスリーですが、58年から兵役につき、一時音楽界から離れます。除隊後すると今度は映画出演が多くなり、さらにビートルズらによるブリティッシュ・インヴェイジョンがアメリカを席巻、プレスリーは音楽界で影が薄くなってきました。

そんなプレスリーが再注目されたのは、ビートルズが解散したのちの70年代。映画出演するようになっていたプレスリーは居を西海岸に移しており、これが関係してラスベガスで大きなショーを行うステージ・スタイルとなりました。プレスリーの物まねというとフリンジのついた派手なジャンプスーツを着るのが定番となっていますが、あれは70年代のプレスリーを模倣したものです。本作は70年代のプレスリーを代表するレコードで、70年代の代表曲「See See Rider」を含んでいます。

ここではレコードを紹介しましたが、70年代のプレスリーのステージングを見る事が出来る2本の映画『エルヴィス・オン・ステージ』と『エルヴィス・オン・ツアー』も必見。若い頃の私はこれを見て「パフォーマンスではビートルズやストーンズではプレスリーにとてもかなわない」と思わされました。

■ますますプレミア化する50年代プレスリーのレコードは、買取り価格も期待できる

ティーンエイジ文化としても資本主義の大量消費音楽としても出発点となったロックンロールの初期衝動であったエルヴィス・プレスリーは、音楽としてだけでなく文化としての価値まで得ているように思います。テネシーにあるエルヴィス・プレスリーの家に行ったことがあるのですが、広大な敷地、まるでホワイトハウスのような外観、町の名前が「エルヴィス・プレスリー」となっている状況、世界で最も訪問者数が多い私邸である状況と、エルヴィスはすでに合衆国の歴史であり文化なのだと思わされました。

もし、エルヴィス・プレスリーのレコードを譲ろうと思っていらっしゃる方がいましたら、その価値が分かる専門の買い取り業者に査定を依頼してみてはいかがでしょうか。