近年、レコードのマトリックス・ナンバーに注目が集まるようになっています。マトリックス・ナンバーとは、簡単に言うとレコードのラベル近くに刻まれた記号番号の事です。近年、なぜこの番号が注目され始めたのでしょうか。

オーディオの世界では、CDの内径部分を緑に塗ると音が良くなるなど、にわかには信じがたい話を耳にする事がありますが、マトリックス・ナンバーへのこだわりも、そうしたある種の都市伝説や、マニアックなコレクターのこだわりのようなものなのでしょうか。いえ、マトリックス・ナンバーは、そのレコードのプレスに関する情報の手掛かりであり、根拠のないものではありません。そしてマトリックス・ナンバーがレコードの買取り価格に影響する事すらあります。

今回は、レコードのマトリックス・ナンバーについて書かせていただこうと思います。

■レコードのマスターからプレスまでの流れ

EPレコードやLPレコードに刻まれているマトリックス・ナンバーについて知るには、レコードがどのように作られるのかを知ると、より分かりやすくなるかと思います。

演奏の録音現場から見ていくと、演奏がそのままレコードに刻まれる事はなく、通常はレコーダーに記録されます。レコーダーは、今ではPCを用いたハードディスク録音が主流となりましたが、CDなどのデジタル録音機器が登場する以前は、オープンリールのテープレコーダーに記録されるのが普通でした。

オープンリールのテープへの録音も、昔はモノラルなりステレオなりのマスターにダイレクト・レコーディングされる事もありましたが、マルチトラックのレコーダー登場以降は、まずは各楽器をマルチトラック・レコーダーに録音し、最後にそれをミックスダウンしてステレオのオープンリール・テープに落とす事が通例となりました。どの作業工程を取るにせよ、最終的に私たちがレコードで聴く事になるステレオ(モノ盤ではモノ)の状態にミックスダウンされた音を収めたオープンリール・テープを、「マスター・テープ」と呼びます。

この後、レコードを作る前に、曲ごとの音質や曲間を調節するマスタリングという作業が入るのですが、ここではその説明を省きます。ここでは、盤に刻まれる前に「マスター・テープ」というものが存在するという事だけ、しばらく覚えておいてください。

■プレス・マスターの種類:マスター・ラッカー盤/メタル・マスター/メタル・マザー/スタンパー

マスター・テープが最終的なLPレコードになるまでの間には、テープではなく音盤化されたマスターと、それを大量に複製するためのスタンパーが制作される事になります。そしてこの作業工程で、「マスター」や「マザー」と呼ばれるものがいくつか生まれます。これが、マトリックス・ナンバーに意味を与える事になります。

マスター・テープ以降に作られる鋳型は4つあり、それぞれ「マスター・ラッカー盤」、「メタル・マスター」、「メタル・マザー」、「スタンパー」と呼ばれます。ラッカー盤とメタル・マスターを作らずにいきなりマザーを制作するダイレクト・メタル・マスタリングという方法もあるのですが、これは後述します。

マスター・テープの音楽信号は、カッティング・マシンという機械を使って盤に刻み付けられます。その際に使われる盤には、音の忠実再現や鋳型の複製という複数の観点から、LPレコードの素材であるポリ塩化ビニールではなく、ラッカー材が用いられます。こうして作られるのが「マスター・ラッカー盤」あるいは「ラッカー盤」と呼ばれるものです。ラッカー盤はA面用とB面用の2枚が作られます。ラッカー盤は長期保存には向かず、音質が変化しない最長保存期間は8か月程度と言われています。

このマスター・ラッカー盤に銀メッキが施され、低電流を使ってニッケルをかぶせ、ラッカー盤と凹凸が反対になったマスターを作ります。これを「メタル・マスター」と呼びます。

メタル・マスターは凹凸が逆なので、そのままではレコードプレイヤーで再生できません。メタル・マスターからもうひと工程を加え、凹凸を元に戻した銅メッキによるマスターが作られます。これが「メタル・マザー」あるいは「マザー」と呼ばれるものです。このマザーによってはじめてレコード・プレイヤーでの再生確認がされる事になります。

メタル・マザーに問題がなかった場合、このマザーにニッケルメッキを施して「スタンパー」が作られます。私たちが聴くLPレコードは、このスタンパーを用いてプレスされます。

こうした従来の方法以外に、ダイレクト・メタル・マスタリングと呼ばれる方法もあります。これは、ラッカー盤とメタル・マスターの制作を省き、いきなり銅盤にカッティングを行ってメタル・マザーを作る方法で、80年代にテルデック社が開発実用化しました。ふたつの工程を省略しているため、鋳型の複製工程での音質劣化を防ぐ効果や、製作費削減というメリットがありましたが、収録時間などによってダイナミック・レンジが狭くなる事がある、ラッカー盤から制作されたレコード盤の音質との違いにリスナーが戸惑うなど、万能ではありませんでした。

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■マトリックス・ナンバーと音の関係

「マスター・テープ」「マスター・ラッカー盤」「メタル・マスター」「メタル・マザー」「スタンパー」という順で作られるわけですが、マトリックス・ナンバーは、ラッカー盤の段階で刻印されます。つまり、マトリックス・ナンバーで知る事のできる情報はラッカー盤の違いまでで、以降のメタル・マスター、マザー、スタンパーの違いは識別できません。

マトリックス・ナンバーが重要な意味を持つことになるのは、それぞれのマスターからの複製枚数に限度があるためです。まず、メタル・マスターからメタル・マザーはうまくいっても10枚程度しか作ることが出来ません。メタル・マザーからスタンパーも同程度。そして、スタンパーからレコードは2000枚ほどと言われています。結果として、ひとつのラッカー盤から最終的に作る事の出来るLPレコードは最大でも数万枚と言われています。

こうした各種鋳型からの複製枚数の制限などから、大量のプレスや、追加プレスや再プレスなどがされる場合には、その都度に新たなマスター・ラッカーが作られる事になります。そして、ラッカーのマトリックス・ナンバーは先に作られたものから順に振られるため、番号が若いものほどマスター・テープの再生回数が少なく、それだけ音質が良いのではないか、という推論が成立する事になります。

これが、マトリックス・ナンバーが注目される最大の要因となっています。つまり、音質面を判断する手掛かりのひとつとしてマトリックス・ナンバーが活用されるわけですね。

■中古レコードの値札にも注目

しかし、レコード盤にうっすらと刻印されたマトリックス・ナンバーをいちいち見て買うのは大変な手間がかかります。しかし中古レコード店の中には、値札にマトリックス・ナンバーを表示してくれている店もあります。値札に「MAT 2/1」などと書かれているものがそれで、この表記の場合、A面がマトリックス2、B面がマトリックス1という事になります。

■レコードのマトリックス・ナンバーは買取価格にも影響する事がある

マスター・テープの再生レコーダーのメーカーやその調整、プレス工場など、マトリックス・ナンバー以外にも音質の変わる条件はたくさんあります。また、オリジナルよりもリマスター盤の方が仕上がりの良いレコードもたくさんあるので、マトリックス・ナンバーはあくまで判断基準のひとつであって、過信は禁物です。

しかし、マトリックス・ナンバーの若いものほどマスター・テープの再生回数が少ない事は確かであり、近年ではジャズやクラシックのレコードだけでなく、ロックでも「あのレコードのマト1音が違った」という話が聞かれるようになり、オリジナル盤初回プレスのマトリックス・ナンバー1番のレコードは、買取り価格にかつてなく影響し始めているようです。

自分が所有しているレコードのマトリックス・ナンバーまで把握している方は多くないでしょう。レコードを手放す際は、その価値の分かる買取り業者に査定を依頼すると、思わぬ高額で買い取ってもらえることがあるかもしれませんね。